海の向こうから。

自分を表現する場所

解放されるちょっと前

大好きだった仕事を失ったのは、あれは、25歳の私だ。

 

きっかけはしょうもない。

上司に嫌われパワハラにあってしまい、異動になった。

私が大切にしてこれからその道を極めたいと思っていた矢先の出来事だった。

 

異動先はこれまでの経験も役に立たず、極められない道だった。

専門職ではないため誰でもよい、代替えのきく仕事だった。

 

異動先に絶望して、そこから2年間やる気のない状態が続いた。

私にとっては不幸中の幸いで新型コロナの影響で異動後にテレワークが始まった。

 

これまでにない感染症の猛威におびえながらも

会社に出勤しなくてもよい解放感と安堵で複雑な日々を過ごしていた。

 

新しい部署では誰からも認めてもらえなかったし必要とされていなかった。

ただ、前の部署でうまくいかなかったやつというレッテルだけが残り

期待されずに始まった最悪な職業生活。

 

そのころから副業に手を出したり、転職を考えたりいろいろなことを実践して、

だけど本業は貢献感もなく期待感もなくただ仕事をこなしていた。

 

 

25歳の時に極めたかった道は他の人にとられてしまった。

エキスパートになってキャリアウーマンになって会社に貢献する自分がほしかった。

 

 

だけど、その夢はかなわない、

今の部署は誰でもできる仕事で、その中で一番下ぱなの。

 

 

そうして仕事への期待、自分への期待、会社への期待すべてがなくなったときに

自分の人生について考えるようになった。

 

私は今30代を目前にしてエキスパートの道は絶たれてしまった。

誰でもできる仕事しか与えられないのなら自分のために生きてやる。

 

 

そう思って、自分のために生きる計画を立てた。

 

パワハラにあったことは納得がいかないし異動するなら加害者がしろと思った

何度も労基に電話したし状況を変える方法を模索し続けた

 

だけど大きな流れには逆らうことができず、所詮会社は守られていて

裁判を起こしたところで時間の無駄なんだと悟った。

 

仕事を失った以上は家庭を大事にするしかない。

生活の基盤を作るためにもサラリーマンはやめられない。

 

 

そうして最終的には自分の価値を見失ってしまった。

 

 

そんな時に子どもを作ろうかと考えることになった。

会社で居場所のない私、私には何が残っているのだろう。

大きな流れや組織に敵うこともないし理不尽な目にあうだけだった。

会社は私を裏切るけど、家族だけは唯一無条件で愛すことができる。

 

 

そう思うようになった。

 

 

子どもを作ることが自分のアイデンティティの確立になるのは嫌で

だけど私が何者であるのか社会のなかで存在意義や存在価値を見出すことができず

どうしても自分の何かが欲しかった。

 

仕事か家庭かという2択は古いけどどうしてもそう考えざるを得なかった。

 

 

25歳から29歳まで暗く長いトンネルを歩み続けた

 

異動になり、異動先では価値が分からず認めてももらえない

家族計画をたてたものの簡単には授からないし、

ある程度年数がたっていないと育休も取りづらいと思った。

 

30歳までに家族が増えたらという理想にもがきながら

なかなかうまくいかない状況に嘆きながらあっという間に3年が経過した

 

 

本当に先の見えないトンネルの中でずっともがき苦しんでいた

 

ようやく、ようやくもう少しで解放される。

 

今すべての出来事を思い出してすべての出来事に感謝している。

 

 

大きな流れに逆らえず流された結果たどり着いたのが大切なわが子だった。

 

 

もしあのままエキスパートを選んでいたら子どもについて考えただろうか

もし転職を選択していたら今頃生活の基盤はどうなっていただろうか

もし異動先で期待されて自分の居場所があったら人生について考えただろうか

 

 

大きな何かに逆らうことができないこともある

それは自分の意図しないことで、理不尽で納得できないときもある

 

それが自分の人生に初めて降りかかってきて

流れに身を任せるという選択ができなかったあのころ

 

どうしたって現状を変えてやると意気込んだあの日々。

 

 

だけど変えられないものもある

代えられないこともある

 

 

私自身が私を誰にも代えることができないように

わが子にとっても母親は代えることのできない存在だ

 

 

トンネルの出口はもうすぐそこ

振り返った後ろの道は暗いけど確かにこの光をたどってここまで来たね