海の向こうから。

自分を表現する場所

数年ぶりのキャリアカウンセリング

 

数年ぶりにキャリアカウンセリングを受講した。

 

12月から数か月はほぼ愚痴を聞いてもらうような内容で(自分で希望した)

あまり新しい発見もなく、前向きになることもなく、

毎月高いお金を払って助言をもらうだけだった。

 

正直、何か意味があったとは思えずお金の無駄だなと感じることもあった。

 

そして今日ようやくまともなカウンセラーの人に会えた。

自分の言葉を理解してくれて言語化してくれて言い返してくれる。

すごく気持ちがいい会話のやり取りだった。

 

 

新しく始まったシステムにとりあえず乗っかってみているが非常に良い。

 

自己分析から始めているが今日は自分の企業の分析もできた。

 

 

自己分析はキャリコンを志す中で何度も行った。

非常に時間のかかる大変な作業であることは承知していたが、

オンラインでここまで話せるのはメリットが大きい。

自分の理解がさらに深まったし、今回は特に特性の部分についてよくわかった。

 

 

 

特性が活かしきれていないことによる不満が募っている。

企業体質も自分に合っていない。

 

 

じゃあどうする?を次の回で深堀していく。

 

 

今まで迷宮に迷い込んで自信喪失していたが

「自分を変えずに折り合いをつける」という新しいフェーズに入った。

 

 

第二章が始まる予感がしている。

 

解放されるちょっと前

大好きだった仕事を失ったのは、あれは、25歳の私だ。

 

きっかけはしょうもない。

上司に嫌われパワハラにあってしまい、異動になった。

私が大切にしてこれからその道を極めたいと思っていた矢先の出来事だった。

 

異動先はこれまでの経験も役に立たず、極められない道だった。

専門職ではないため誰でもよい、代替えのきく仕事だった。

 

異動先に絶望して、そこから2年間やる気のない状態が続いた。

私にとっては不幸中の幸いで新型コロナの影響で異動後にテレワークが始まった。

 

これまでにない感染症の猛威におびえながらも

会社に出勤しなくてもよい解放感と安堵で複雑な日々を過ごしていた。

 

新しい部署では誰からも認めてもらえなかったし必要とされていなかった。

ただ、前の部署でうまくいかなかったやつというレッテルだけが残り

期待されずに始まった最悪な職業生活。

 

そのころから副業に手を出したり、転職を考えたりいろいろなことを実践して、

だけど本業は貢献感もなく期待感もなくただ仕事をこなしていた。

 

 

25歳の時に極めたかった道は他の人にとられてしまった。

エキスパートになってキャリアウーマンになって会社に貢献する自分がほしかった。

 

 

だけど、その夢はかなわない、

今の部署は誰でもできる仕事で、その中で一番下ぱなの。

 

 

そうして仕事への期待、自分への期待、会社への期待すべてがなくなったときに

自分の人生について考えるようになった。

 

私は今30代を目前にしてエキスパートの道は絶たれてしまった。

誰でもできる仕事しか与えられないのなら自分のために生きてやる。

 

 

そう思って、自分のために生きる計画を立てた。

 

パワハラにあったことは納得がいかないし異動するなら加害者がしろと思った

何度も労基に電話したし状況を変える方法を模索し続けた

 

だけど大きな流れには逆らうことができず、所詮会社は守られていて

裁判を起こしたところで時間の無駄なんだと悟った。

 

仕事を失った以上は家庭を大事にするしかない。

生活の基盤を作るためにもサラリーマンはやめられない。

 

 

そうして最終的には自分の価値を見失ってしまった。

 

 

そんな時に子どもを作ろうかと考えることになった。

会社で居場所のない私、私には何が残っているのだろう。

大きな流れや組織に敵うこともないし理不尽な目にあうだけだった。

会社は私を裏切るけど、家族だけは唯一無条件で愛すことができる。

 

 

そう思うようになった。

 

 

子どもを作ることが自分のアイデンティティの確立になるのは嫌で

だけど私が何者であるのか社会のなかで存在意義や存在価値を見出すことができず

どうしても自分の何かが欲しかった。

 

仕事か家庭かという2択は古いけどどうしてもそう考えざるを得なかった。

 

 

25歳から29歳まで暗く長いトンネルを歩み続けた

 

異動になり、異動先では価値が分からず認めてももらえない

家族計画をたてたものの簡単には授からないし、

ある程度年数がたっていないと育休も取りづらいと思った。

 

30歳までに家族が増えたらという理想にもがきながら

なかなかうまくいかない状況に嘆きながらあっという間に3年が経過した

 

 

本当に先の見えないトンネルの中でずっともがき苦しんでいた

 

ようやく、ようやくもう少しで解放される。

 

今すべての出来事を思い出してすべての出来事に感謝している。

 

 

大きな流れに逆らえず流された結果たどり着いたのが大切なわが子だった。

 

 

もしあのままエキスパートを選んでいたら子どもについて考えただろうか

もし転職を選択していたら今頃生活の基盤はどうなっていただろうか

もし異動先で期待されて自分の居場所があったら人生について考えただろうか

 

 

大きな何かに逆らうことができないこともある

それは自分の意図しないことで、理不尽で納得できないときもある

 

それが自分の人生に初めて降りかかってきて

流れに身を任せるという選択ができなかったあのころ

 

どうしたって現状を変えてやると意気込んだあの日々。

 

 

だけど変えられないものもある

代えられないこともある

 

 

私自身が私を誰にも代えることができないように

わが子にとっても母親は代えることのできない存在だ

 

 

トンネルの出口はもうすぐそこ

振り返った後ろの道は暗いけど確かにこの光をたどってここまで来たね

 

 

お気に入りを探す旅

私は海の向こうの都市と田舎の中間みたいな街に住んでいる。

 

大都市と比べれば何もないけれど、本当の田舎よりは充実している。

そんな中途半端な街に生まれ育っている。

 

しかし、遊びに行くといっても買い物をするか公園に行くくらいで、

面白いイベントや展示会、ライブが行われているわけではない。

 

 

年に数回、街起こしのようなイベントはあるものの、

若者が楽しむには圧倒的に刺激が足りない。

大きなテーマパークも有名ブランドも何もない。

 

 

そんな街で年を重ねるにつれ、好きなものがどんどん変化していった。

 

 

20代はブランド物か極端に安いものが好きだった。

そのブランドのモデルやコピーなどに心を打たれて買うということが多かった。

自慢できるアイテムが好きだった。

 

 

そして、そういう類は意外と簡単に手に入る。

田舎でもネットでぽちればすぐに届くし、

本物を吟味せずとも素材感は容易に想像できるしイメージもわきやすい。

 

 

 

30代に入ってからは唯一無二ものものオリジナルのものが好きになった。

作者がどんな意図で作ったのか、またその会社は何を大事にしているのか?

いわゆるポリシーを知ってから買うようになった。

 

 

物を持つということはそこからインスピレーションがわいたり気持ちが上がったり

癒されたりうれしい気持ちになったり感情が変化する。

 

欲しいものを手に入れることができたという満足感よりも

充足感の方が大事と思う。

その方が物を大事にできる気がする。

 

 

しかし、そういったお店もこの街にはない。

どこに行ってもファストブランドかプライベートブランドのみで、

個人がこだわりをもって作ったものが並んでいるとか、

大企業ではないけどファンのいるお店とか、そういうものがない。

 

 

だから欲しくても本物を見る機会がない。

どんな質感なのかがイメージできずネットでぽちることができない。

 

 

どうせならこだわりを持った人の作品を手に取って、

自分に馴染むか、持っていてどんな気持ちになるのか確認したいけど

そんなお店もこの街にはないのだ。

 

何にも触れる機会のないこの街。

若い頃は刺激が足りず、年を重ねても充足感が得られない。

 

田舎と都会の狭間に住む中途半端な30代。

生涯でただ一つのモノを極める

 

先日、ある番組で90代で現役の看護師をしている方の番組を見た。

その方は本も出していて、ちょっと有名な方らしい。

 

彼女がいるのは老人ホームで自分より年下の入居者を看護している。

中には自分より20も下の方のお世話をしている。

 

人それぞれの寿命、健康寿命があるけど、90代で現役なのは凄い。

 

 

その番組では、日ごろどんな処置をしているかすべてを知ることはできなかったが

医療行為が必要だけど軽微な業務に就かせているのだろうと思った。

 

 

「生涯の仕事を持ててよかった」というインタビューでの回答が重い。

 

私自身、一生をかけてやりたい仕事ってあるんだろうか?

そもそも働きたいと思えるのだろうか?

 

 

どちらかといえば自由な時間の方が好き。

会社に拘束されたり面倒な人間関係から逃れたいと思っている方ではある。

 

だけど、突き詰めた仕事もしてみたくて、専門性を今から身に着けてみたいな~と。

30代に入って今更専門性を身に着けるなんてないだろうと思っていたけれど

90代まで看護師ができるならあと60年は働いてもおかしくないのか。

 

今から始めて60年も続ければ”これが私の一生涯の仕事です”と

さすがに胸を張って言えるよね?

 

 

私は子育てと家事に追われているけど専門分野も開拓していきたい。

今から何ができるだろうか。

 

幾つになっても何かに挑戦している姿は尊い

ねこと生きている

 

生まれてからペットを飼ったことはない。

そばにいたのは、人間よりも毛むくじゃらの家族だった。

 

物心ついたとき、私の家には三毛のメス猫がいた。

そして彼女は母だった。

 

彼女はあまり愛想がなかったけど子を守る母だった。

子猫が外に遊びに行って野良猫と戦うこともあった。

そう言うときは決まって、彼女が野良猫を追い払っていた。

 

自分より大きなオスの野良猫相手に、果敢に挑む小さな彼女。

その時の縞模様の背中は、本当にかっこよかった。

 

 

20年近く生きてとても長生きをしてスッと亡くなっていった。

 

 

 

あれから数十年たち、私たち家族のところにメス猫がやってきた。

彼女と違い、私にとってこの子は娘そのものだった。

 

赤ちゃんの時から私たちの家に来てご飯をあげて病院にも行って

お世話して癒されて喧嘩して怒って慰めてくれる。

 

私たちには子どもがいるけど、同じようにこの子も家族。

動物を飼うとわかる種を超えた家族の存在。

今度は私がこの子を守りたい。

 

 

ゆるオーガニックで健康寿命を延ばす作戦

 

 

オーガニックを選ぶ人の服はリネンで、ハンドメイドアイテム、

こだわりの器、SDGsや環境保護への意識高めなひとたち。

 

そんな勝手なイメージを抱いていた私がオーガニックに手を出した。

選ぶ服のほとんどはファストフアッションだし、100均もブランド物も好き。

(唯一買わないものは動物の毛皮の商品くらい。)

 

オーガニックに目覚めたきっかけは自分の健康と家族の健康を考えたから。

もっと詳細に言うと子どもを授かりたいと思ったころからだった。

 

栄養の高いものを食べましょう、体を温めましょうが妊活のファーストステップ。

ちなみに私は、妊活といえるほどのことはせずに授かることができたので

大それたことは言えない。それは本当にラッキーだった。

 

妊活において食べ物が大事なのか・・・と知り、そのうちに健康を考えるようになった。

本当に身体のいいものってなんなのか?どこで手に入るのか?

 

 

そんな時に知人からこめ油をプレゼントしてもらった。

今まで使っていた日〇の油じゃなくてそこら辺のスーパのでもない。

油ってこんなに種類があるんだと知ったことをきっかけにまずは卵を平飼いのものに変更してみた。

ちょっと高いけど、たんぱく質って重要。

 

 

それからは日々のスーパーで商品の裏、成分表を見て買っている。

なるべく添加物が少ないもの、国産のものを使っていること、

塩や醤油、みそなど天然のものでちゃんと発酵されているもの。

 

そんなこんなでちょっとお高い買い物をしていますが、

月の食費は大幅に増えたわけではなった。チリツモだけど数千円~一万円いかない程度。

 

ゆるオーガニックなのでだしは市販のものを使っているし

どうしてもいいスーパーにいけない日はあきらめて添加物まみれの商品を選ぶこともある。

 

 

外食先では調味料も選べないので仕方なくベジファーストにしているくらい。

ファストフードも食べている。

 

 

 

そんなゆるオーガニック生活を始めてもうすぐ一年がたつ。

カップラーメンを食べることはなくなったし、選ぶお菓子も自然素材のものが増えた。

 

今の生活が何十年後の自分たちを決めるから、家族みんなで健康で長生きがしたい。

 

 

答えが分かるのはあと数十年。

 

好きなものを手放した後

 

 

自分が大切にしてきたもの、こと、想いを手放すときがある。

 

それは自分で決めた時と、そうせざるを得なかったとき。

 

心から愛して心から大切にして、それは生きがいだった。

 

だけど、そんなものを手放すことがある。

 

どんな人でもつらい。

だって大切にしてきた物の価値はその人にしかわからないから。

 

他の人にとっては取るに足らないようなことであってもそれを大切に育んできたことで

誰にも奪うことはできないはずなのに、私の手の中からなくなってしまうこと。

 

仕方ないと悔しいの気持ちの間で手放してしまった自分と

その環境を嘆き、恨み、悲しんでしまうこと。

誰かのせいにして、時代のせいにして、手放してしまったことへの後悔と

二度と大切にすることができない絶望が同時に押し寄せてくる。

 

 

好きなものを手放した後、あなたは一度真っ白になる。

何もなくなって、生きがいもやりがいも見失って自分の未来が思い浮かべない。

 

ほかのだれかが自分のやりたいことをやっていると羨ましくて

だけどもう戻れない時間とともに歩んで後悔しながら時間が進む。

 

真っ白になって真っ黒になって何もない自分を見つめたときに

また新しいやりたいことを見つけたり、違う世界を感じることができる。

 

 

そうして何年か、何十年か経ったときにその手放したものやことが

またポッと再燃することがある。

 

それはふとしたきっかけやふとした蘇り。

 

でも忘れてはいない自分が大切にしてきた好きなもの。

それはずっと種火。